私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

ソクラテス:善く生きること

人びとがポリスの法や規範を軽視し、

普遍的な倫理への関心を失って、

個人の欲望を満たすことに走るという危機的な風潮の中で、

ソクラテス<前469頃~前399>が登場した。

人間にとって大切なことは「どれだけ生きるか」ではなく、

「いかに生きるか」であり、

「私たちはただ生きることではなく、

善く生きることこそもっとも大切にしなければならない」と述べた。

 

人びとに「勇気とは何か」「友情とは何か」「正義とは何か」とたずね、

人びとに共通する普遍的倫理について思索した。

対話を通じてすべての人に普遍的な善い生き方を探求したソクラテスは、

倫理学の創始者」と呼ばれている。

 

あるとき、ソクラテスの友人がデルフォイアポロン神殿にいって、

ソクラテスよりも知恵のある人間はいるか」とたずね、

「いない」という神のお告げを得た。

自分をそれほど知恵のある人間とは思わなかったソクラテスは、

神託の本当の意味をはかりかね、

自分よりも知恵がある人物をさがしにでかけた。

そして、さまざまな人々をたずね、何が人間にとって一番大切かを問いかけた。

 

その結果わかったことは、

彼らは自分に知恵があると思い、他人からもそう思われているけれども、

実は人間にとって一番大切なことを知らないということであった。

 

ソクラテスは、知っているふりをする人間よりは、

自分の無知を自覚し(無知の知)、

人間にとって何が大切であるかを謙虚に問い続けるものこそが、

本当に知恵のある人間であると考えた。

神の知恵に比べれば、人間の知恵は無にも等しい物であろう。

その人間に賢者がいるとすれば、

それは己の無知を自覚し、常に知恵を愛し求め続けるものである。

無知の知は、真実の知の探究の出発点になる。

 

ソクラテスは、問答を通して人々とともに真理を探究した(問答法)。

無知をよそおいながら問答を始め、

次第に相手の考え方の矛盾を明らかにして、

相手の無知をあばいていく。

相手が自己否定せざるをえないように追い込むのである。→エイロネイア

 

そして、そのような無知の自覚を出発点として、

相手に自分の考えを吟味させ、人生についての真の知恵を求めさせる。

ソクラテスは、知恵は外から教え込むことはできず、

自分にできることは、問答を通して相手に自らの考えを吟味・批判させ、

真理についての知恵を生み出す事を手助けすることと考え、

みずからの問答を助産術・産婆術と呼んだ。

 

善く生きることは「正しく生きる」ことであり、

他人の生命やものを奪うような不正を決して行わない事だと主張した。

世の中には、自分の利益や欲望のために不正を行って自分の魂を傷つけていながら、

幸福になったと思い込んでいる人が少なくない。

ソクラテスは、真の幸福はただ欲望を満たすことではなく、

人間らしい正しく健やかな魂をもって生きることそのものにあると考えた。

 

古代ギリシアでは、

さまざまなものの中に宿ってそれらの働きをよくするものはアレテー(徳、優秀性 arete)と呼ばれた。

馬のアレテーは早く走ること、目のアレテーはよくものをみることである。

ソクラテスは、人間の魂にも魂の優れた働きを生み出すアレテーがあると考えた。

各人がみずからの魂に知恵・勇気・節制・正義・敬虔などの

アレテーをそなえることが大切であると説いた。

人間はみずからの魂に徳がそなわり、魂が優れたものになるよう、

つねに心配りすること(魂の配慮・魂の世話)を忘れてはならない。

 

悪をみずからは善であると思い込み、

悪を善と取り違える無知こそが、人間を悪事へと向かわせる原因である。

魂がそなえるべき徳についての正しい知恵をもてば、

誰でも正しく善い生き方ができると考えた(知徳合一)

 

この知恵とは理論的知識にとどまらず、

大工のことを学んだものが大工になり、

正義とは何かを学んだものが正しい人になるように、

みずからの生き方と一体になった知恵であり、

行動を可能にする知恵、人を行為へとかりたてるような知恵である(知行合一)。

 

このような徳についての知恵が、

人間を正しい行動へと導く指針となり、

その意欲をかりたてるというソクラテスの信念は

「徳は知なり」と呼ばれる。