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私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

邪馬台国

卑弥呼を女王とする邪馬台国は、

後漢末期に楽浪郡の南に設けられた帯方郡を経由して魏と通交した。

邪馬台国は30か国ほどを勢力下におく連合国家で、

九州北部に外交と諸国の監督のための特別の役人を派遣していた。

卑弥呼は239年、魏に使いをおくり、

皇帝から「親魏倭王」の称号と印綬などをあたえられ、

その使者たちもすべて称号と印綬などをさずけられた。

魏が倭を重んじたのは、

魏が呉・蜀や高句麗と対立していた為とみられる。

 

卑弥呼は呪力をもつ司祭者で、

「男弟」がこれをたすけて国をおさめ、

多くの奴婢がしたがい、

宮廷はつねに兵にまもられていた。

倭人の国々には大人と下戸といわれる身分が成立し、

法の秩序がととのい、租税がおさめられ、

市があって諸地域間の交易がおこなわれていた。

 

卑弥呼の死後、男王がついだが、

国中はしたがわず、

壱(台)与という女王をたててはじめておさまったという。

 

邪馬台国の位置については、

古くから九州説と大和説がある。

邪馬台国が九州にあったとすれば、

銅鉾・銅戈分布圏を中心とする地域的な連合国家であり、

大和にあったとすれば、

銅鐸分布圏の勢力がすでに西日本を支配していたことになる。

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