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私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

倭国の乱

日本史 小国の時代

100余の小国に分かれていた社会も、

2~3世紀の弥生時代後期になると変化をみせる。

首長の墓に副葬された銅剣・銅鉾は細形で実用の利器であったが、

瀬戸内海沿岸では平型銅剣が作られるようになった。

近畿地方では、わが国独自の形を持つ銅鐸が作られ、

中部地方にもひろまった。

 

実用性にとぼしく、共同体の祭器として用いられたと思われるが、

銅鉾・銅戈・銅剣と銅鐸の分布圏が、

中国・四国の中央部でまじわっていることは、

二つの政治勢力の範囲を示すと考えられる。

 

中国では、3世紀初めに後漢がほろび、

かわって魏・呉・蜀の三国時代となった。

朝鮮半島では2世紀後半に漢族が強くなり、

魏志倭人伝によると、倭も同じころに乱れ、

国々が何年も攻めあったのち、

卑弥呼という女性を連合国家の王にたて、乱をおさめたという。

瀬戸内海沿岸から近畿地方にかけて、

丘の上や山頂に、

弥生時代の中・後期の高地性集落の跡があるが、

倭国大乱”を物語るものとする考え方もある。

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