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私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

メソポタミアとエジプト

世界史 古代オリエント世界

メソポタミアとエジプトは、ユーラシア大陸の西南部とアフリカ大陸の東北部とにあって、

地理的にも歴史的にもたがいに密接な関係を有し、

ともに古代オリエント世界の中心をなした。

ティグリス川ユーフラテス川流域のメソポタミア(「川のあいだの地域」の意)地方では、

前3千年紀前半、それ以前すでにこの地方南部に成立していた

民族系統不明のシュメール人による都市国家の間に統一の気運が生じた。

諸都市は、相互の間で主導権の移動をかさねながら隆盛にむかい、

メソポタミアで最初の高い文化を形成。

シュメール諸都市はやがて北部のセム系遊牧民アッカド人により征服・統一され、

前2千年紀セム系古バビロニア王国が成立、

メソポタミアは以後、強力な専制王朝のもとにおかれた。

ハンムラビ王<前18世紀頃>の時代がその全盛期で、

ハンムラビ法典は、オリエント諸国のその後の法典編纂の模範となった。

 

エジプトは周囲の海と砂漠でかこまれ地理的に孤立、

一時期をのぞくと、メソポタミアにおけるような支配民族の交代はなかった。

ナイル川流域ではすでに前4千年紀にエジプト語系の言語を用いる人々により

多数のノモス(小部族国家)が形成されていたが、

前3000年ころ、これらを統一する王国が成立、

前6世紀にいたるまで、

王朝の交代をくりかえしながらも、

ファラオ(王)の支配が続いた。

ピラミッドはその初期の古王国時代にきずかれた王墓といわれ、

オリエント専制支配の象徴とされてきた。