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私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

100余の国々

農耕生活がすすむなかで、

各地に首長を中心とする社会がうまれていった。

1世紀ころの弥生時代中期のものとおもわれる

福岡平野の須玖遺跡(春日市)からは、

甕棺群のなかに青銅製の銅鏡・銅剣・銅鉾・ガラス製大勾玉など、

多くの副葬品をおさめた甕棺が出土した。

首長の墓と推定され、副葬品は首長の権威を示す宝物。

銅鏡は漢でつくられたもの、

銅剣・銅鉾は朝鮮半島からの輸入品で、

日本に海をへだてた

中国や朝鮮半島と交渉をもつ政治権力があったことを物語る。

 

漢書』地理志によると、

気前1世紀前後の日本は倭とよばれ、

100余の国々にわかれ、

朝鮮半島北部におかれた

漢の楽浪郡に定期的に使いをおくっていた。

 

後漢書東夷伝には、

倭の奴の国王が紀元57年に後漢光武帝のもとに使いをおくって

印綬をあたえられ、

107年には、倭国王から生口160人をときの皇帝に献じたとある。

 

須玖遺跡は奴の国にあったとの説もあるが、

弥生時代中期の日本は小国に分かれて、

それぞれ中国と通交していたと思われる。

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