自然権思想と社会契約説
16~18世紀のヨーロッパでは、封建制度の社会から一歩進んで、
国王が強い権力を持って国民を専制的に支配する絶対王政(絶対主義)の時代。
絶対君主制ともいわれ、
特権的な大商人と結びつき、強大な政治権力をもった絶対君主が、
常備軍や官僚を使って専制政治をおこなった。
国王の政治権力は神から授けられたものとする王権神授説により正当化された。
しかし、絶対王政のもとで力をつけてきた富裕な商工業者である市民階級は、
経済活動の面などにおいて国王との間に次第に対立を深め、
自由・平等・政治参加などを要求して市民革命をおこした。
このとき、民主政治の原理となる思想を展開し、
市民側の理論的支柱となったのが、
ホッブズやロック、ルソーらが唱えた自然権思想であり、社会契約説であった。
社会契約の考え方を最初に主張したのは、ホッブズ。
『リヴァイアサン』(1651年)のなかで、
人間は自然状態のままでは「万人の万人に対する闘争状態」におちいってしまうので、
人々は自己保存のために契約を結んで国家をつくる(社会契約説)。
各人は国家の統治者である国王=絶対主権者に、
人が生まれながらに持っている自然権を委譲すべきだと説いて、
絶対王政を擁護した。
対してロックは、『統治論二篇(市民政府二論)』(1690年)で、
生命・自由・財産を守る権利など、
人間として持っている当然の権利があり、
この自然権を確実なものとするために、
人びとは契約によって国家(政府)をつくると考えた。
政府は人民の権利を守ることに存在意義があり、
もし政府が人民の権利を踏みにじるならば、
人民は政府に抵抗する権利や政府をとりかえる権利(革命権)を行使できるとした。
ルソーは、『社会契約論』(1762年)のなかで、
個人の自由は契約によって成立する社会は、
その構成員の総意を意味する一般意思に基づく共同社会であると主張。
一般意思は他人に譲ることも、
他人にかわって行使することもできないとの考えから、人民主権を論じ、
議会を通した間接民主制を否定して、
直接民主制を理想の政治体制とした。