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私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

日本史

大陸の人々

朝鮮半島や中国との交渉がさかんになると、 大陸から多くの人々が日本に渡ってきた。 多くは半島での戦乱や飢饉をのがれてきた人びとであった。 5世紀までに、秦氏・漢氏の渡来が伝えられ、 5世紀末から百済が高句麗に圧迫されると、 さらにこの地域の人々が…

倭の五王

『宋書』倭国伝によると、 5世紀には讃・珍(弥)・済・興・武とよばれる倭の五王が 中国南朝の宋につぎつぎ使いをおくったという。 →大和の王 その目的は、倭の国内における支配権と、 朝鮮半島南部に対する軍事権を中国皇帝に認めさせることにより、 倭の東…

大和と朝鮮

4世紀初め、中国では魏・呉・蜀のあとをうけた晋が、 北方民族の侵入をうけて江南に移り、 朝鮮半島では北部の高句麗が楽浪郡をほろぼし、 南部では4世紀中ごろ、 馬韓から百済、辰韓から新羅がおこってそれぞれ国家を形成した。 半島南部の伽耶(加羅)とよば…

古墳の築造

3世紀後半の邪馬台国の記事を最後に、 ほぼ1世紀あまり倭に関する記録は、 中国の歴史書から姿を消すが、 日本では3世紀後半には、 近畿地方や瀬戸内海沿岸・九州北部に古墳がつくられはじめた。 古墳は弥生時代の集団墓地とは異なり、 特定の個人をほうむる…

邪馬台国

卑弥呼を女王とする邪馬台国は、 後漢末期に楽浪郡の南に設けられた帯方郡を経由して魏と通交した。 邪馬台国は30か国ほどを勢力下におく連合国家で、 九州北部に外交と諸国の監督のための特別の役人を派遣していた。 卑弥呼は239年、魏に使いをおくり、 皇…

倭国の乱

100余の小国に分かれていた社会も、 2~3世紀の弥生時代後期になると変化をみせる。 首長の墓に副葬された銅剣・銅鉾は細形で実用の利器であったが、 瀬戸内海沿岸では平型銅剣が作られるようになった。 近畿地方では、わが国独自の形を持つ銅鐸が作られ、 中…

100余の国々

農耕生活がすすむなかで、 各地に首長を中心とする社会がうまれていった。 1世紀ころの弥生時代中期のものとおもわれる 福岡平野の須玖遺跡(春日市)からは、 甕棺群のなかに青銅製の銅鏡・銅剣・銅鉾・ガラス製大勾玉など、 多くの副葬品をおさめた甕棺が…

生産と階級

農耕の開始をきっかけに盛んとなった生産と流通の高まりは、 人々の生活を豊かにした。 食生活に用いる土器も、 貯蔵用の壺、煮たき用の甕、盛り付け用の高杯、蒸し器としての甑など、 用途に応じた形のものが作られるようになり、 麻など草木の繊維や絹糸を…

水稲と鉄器

九州地方にはじまった水稲耕作は、 100年ほどのあいだに近畿地方にまでひろまり、 紀元前後には関東地方から東北地方南部に、 2世紀ころには東北地方北部にまでおよび、 狩猟・漁労の生活を大きく変化させた。 水田は、はじめ低湿地を利用した湿田であったが…

弥生文化

日本列島で縄文文化が続いていた紀元前6000~5000年ころ、 中国大陸ではすでに黄河の中・下流域に粟・きびを栽培し、 豚や犬を飼う農耕の生活が始まっていた。 紀元前6世紀ころから青銅器とともに鉄器が用いられるようになり、 紀元前3世紀には秦、つづいて…

生活と習俗

縄文時代の人々は、 わき水のある大地の周縁部などに竪穴住居の集落で生活をいとなんだ。 住居の中央には炉があり、 平均4~5人が住み、 炉の近くには、とち、かし、栗などの木の実をたくわえる貯蔵用の穴を掘った。 集落の背後には動植物の豊かな森があり、 …

縄文文化

完新世にはいると、日本列島の気候はあたたかくなり、 氷河もとけ、 大型の動物にかわって、 シカ、イノシシ、ウサギなどの小形の動物がふえ、 森林や湖沼の多い環境の中で食料も豊かになった。 最古の土器は約12000年前 様々な形の文様をもち、 低温で焼か…

旧石器文化

1949(昭和24)年、群馬県岩宿(みどり市)で、 更新世の地層である関東ローム層(赤土層)から、 打製石器が発見された。 これらの石器は、考古学でいう旧石器時代にあたるもので、 土器はまだ製作・使用されていなかった。 このような旧石器の発見により、 …

人類の誕生

地球上に人類があらわれたのは、 今から約500万年前の、地質学でいう鮮新世のはじめごろで、 これに続く更新世にかけて人類は発展した。 更新世は氷河時代にあたり、 地球上に寒冷な氷期と、比較的あたたかい間氷期とが かわるがわるおとずれた。 当時、日本…