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私的勉強用ブログ

もう一度読む山川○○シリーズより

明治憲法の特色

政治経済 日本国憲法の基本的性格

日本最初の近代憲法は、

1889(明治22)年に制定された大日本国憲法(明治憲法)である。

天皇を中心とする中央集権国家の樹立をめざしていた明治政府が、

君主権力の強い当時のプロイセン憲法を参考に制定した欽定憲法である。

欽定憲法とは、君主により制定された憲法をいう。

これにより日本は東アジア諸国のなかで、最初に近代憲法を持つ国となった。

 

明治憲法の特徴としては、天皇主権があげられる。

 

議会は帝国議会とされ、選挙で選ばれた議員からなる衆議院と、

選挙によらず家族や天皇が任命する議員からなる貴族院の二院で構成された。

帝国議会天皇の協賛(協力)機関とされ、

内閣は天皇の輔弼(補佐)機関で、

裁判はすべて「天皇ノ名ニ於テ」おこなうとされた。

 

天皇には、陸海軍を指揮・統率する統帥権

緊急勅令・独立命令などの広範な天皇大権が認められていた。

統帥権には議会や内閣は関与できず(統帥権の独立)、

のちに政党政治を弱体化させるとともに、

軍部の発言力を増大させる根拠となった。

 

国民の権利は「臣民」の権利として「法律ノ範囲内」で、

天皇から恩恵的・制限的に認められた「法律の留保」という条件付きのもので、

永久・不可侵の権利としての基本的人権とは原理的に異なるものであった。

 

大正時代に入ると、

明治憲法のもとでも国民の政治参加は少しずつ拡大した。

第一次世界大戦後は、世界的に民主主義を求める運動が高揚し、

日本でも民主主義や天皇機関説などが主張され、

その結果、政党内閣による政治が「憲法の常道」とされるようになった。

民主主義は吉野作造が提唱した大正デモクラシーの政治理念で、

国民の福利を求めて、普通選挙と政党内閣制を主張し、

それは天皇主権のもとでも運用できるとした。

天皇機関説は、美濃部達吉が主張した学説で、

明治憲法には主権が明文化されていなかったため、

天皇は国家を統括する最高機関であり、主権は国家にある」とした。

この学説はのちに天皇主権に反するとして貴族院で問題化し、

彼の著作は発行を禁止された。

 

大正デモクラシーといわれる時期に、

生年男性(満25歳以上)による普通選挙法が成立し(1925年)、

それまでの制限選挙制度が撤廃された。

その一方で、同年に治安維持法が公布された。

この法案が思想・結社を取り締まる典型的な法で、

政府は共産主義思想の波及と労働者階級の政治的影響の増大に備え、

普通選挙法の施行とともに成立させたのである。

 

世界恐慌による経済危機が社会不安を高めると、

統帥権の独立」を根拠に軍部が指導権を握って、

軍国主義体制をつくり、

昭和初期から15年間におよぶ戦争へと日本を導いた。

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中国の政治制度

政治経済 世界のおもな政治体制

中国は、現代では数少ない社会主義体制の国家である。

その政治制度の特徴として、

権力集中制(民主集中制)があげられる。

これは国家権力を国民代表の議会に集中させ、

強力な政治を進めるしくみである。

 

国家の最高機関として位置づけられているのが、

一院制全国人民代表大会(全人代)である。

この中に常設機関である常務委員会がおかれ、

法定の制定や条約の批准などをおこなっている。

全人代は毎年1回開催され、

解散はなく、議員の任期は5年である。

全人代の下には行政府である国務院と、

最高司法機関としての最高人民法院がおかれている。

 

中国では、事実上、共産党の一党支配が続いており、

全人代をはじめ、それぞれの機関を共産党が強力に指導している。

中国は1980年代から経済中心の改革・解放政策を推進し、

一定の成果をあげてきている。

同時に1989年の天安門事件にみられるような民主化運動もおこっており、

経済の自由化とともに政治の自由化が注目されている。

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大陸の人々

日本史 古墳文化の発展

朝鮮半島や中国との交渉がさかんになると、

大陸から多くの人々が日本に渡ってきた。

多くは半島での戦乱や飢饉をのがれてきた人びとであった。

 

5世紀までに、秦氏・漢氏の渡来が伝えられ、

5世紀末から百済高句麗に圧迫されると、

さらにこの地域の人々が渡来してきた。

これらの渡来人、朝廷は帰化人とよんだ。

 

彼らは畿内とその周辺に住み、

朝廷の文筆・財政などの行政実務、

さらに鍛冶・武器製造・機織・製陶・土木・建築などの生産部門や、

動物の飼育などの分野で大きく貢献した。

 

これらの技術者集団である史部や、

韓鍛冶部・錦織部・陶部などは、

みな帰化人によって形成された。

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倭の五王

日本史 古墳文化の発展

『宋書』倭国伝によると、

5世紀には讃・珍(弥)・済・興・武とよばれる倭の五王

中国南朝の宋につぎつぎ使いをおくったという。

→大和の王

 

その目的は、倭の国内における支配権と、

朝鮮半島南部に対する軍事権を中国皇帝に認めさせることにより、

倭の東アジアにおける国際的地位を確保しようとしたもの。

 

5人のうち最後の倭王武は、

古事記』『日本書紀』に伝える雄略天皇と考えられるが、

その上表文には、

大和の王みずから国内・国外への軍事遠征によって、

地方の首長を統合して大王の地位をきずきあげたことが示されている。

しかし、5世紀後半に高句麗の勢力がのびると、

朝鮮半島における倭の地位は低下した。

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プラトン:理想を求めて

倫理 古代ギリシアの思想

プラトン<前427~前347>は、

初めは政治家を志していたが、

青年時代に出会った師のソクラテスの刑死が、人生の転機になった。

正しい生き方を貫こうとしたソクラテスを刑死に追いやり、

権力争いにあけくれる当時のアテネの政治の堕落に、プラトンは絶望した。

そして、理想的な正しい国家や人生のあり方を考えるために、

哲学の道に進む決意をし、やがてアカデメイアと呼ばれる学院を開いた。

 

プラトンは、哲学とは永遠の、普遍的な真理を求めるものであると考えた。

人間が感覚によってとらえるものごとは、

つねに変化し、やがて消滅する不完全なものであるとする。

 

プラトンは、理性のよって思い描く、

ものごとの完全な姿を実在するものと考え、

それをイデア(idea)と呼んだ。

イデアは様々なものごとの原型・模範となるものであり、

追い求めるべきものごとの理想的な姿である。

 

プラトンによれば、

世界は感覚がとらえる、たえず変化し、やがて消滅していく

不完全な現象界と、

それらの現象の原型となる完全で永遠のイデア界という

二つの世界から成り立っている(二次元論的世界観)。

しかし、肉体をもつ人間は、ふだんは現象界に閉じ込められ、

感覚がとらえる不完全な現象のみが現実だと思っている。

 

プラトンはそのような人間を、

洞窟にとじこめられた人にたとえている(洞窟の喩え)。

外には太陽が輝き、洞窟の入り口には松明が燃え、

その前をさまざまなものが横切る。

洞窟の中の人々は入口に背を向けて洞窟の壁をみつめており、

松明の光により洞窟の壁に映し出されるものごとの影絵を見て、

それを現実だと思い込んでいる。

プラトンは、その影にとらわれず、

振り返って洞窟の外に光り輝く真に実在するイデアの世界をみよ、と呼びかける。

 

人間の魂はかつてイデア界に住んでいた為、

この世でイデアを模倣したものごとをみるたびに、

イデア界を思い出す(想起・アナムネーシス)と説いた。

イデアに憧れ、永遠のイデアを求めようとする欲求はエロース(eros)と呼ばれる。

 

プラトンは人間の魂を理性・意志・欲望という三つの部分に分け、

魂の理想的なあり方を考えた(魂の三分割説)。

プラトンはこのような魂を二頭立ての戦車にたとえている。

御者は理性、白い馬は意志、黒い馬は欲望をあらわす。

理性は名誉心をもった白い馬を励まし、

貪欲な黒い馬にむちをあて、たくみに戦車をあやつる。

知恵をそなえた理性が身体に正しい命令を下し、

意志をはげまして勇気を吹き込み、

欲望をおさえて節制させる。

魂の三つの部分が知恵・勇気・節制という徳をそなえ、

魂が全体として調和のとれた秩序を保つとき、正義の徳が生まれる。

理性を中心にした秩序正しい魂からは、正しい行為が生まれる。

 

これに対して、魂の三つの部分の関係が逆転して、

理性が統率力を失い、意志が弱体化して、

欲望がわがもの顔にふるまって、

魂を支配する無秩序な状態が不正である。

 

プラトンがといた知恵・勇気・節制・正義の四つの徳は、

古代ギリシアの四元徳と呼ばれる。

 

プラトンは、若い頃にアテネの政治の堕落に失望して以来、

国家の理想的なあり方について考え続けた。

彼は魂と同様に、国家を理性・意志・欲望にあたる三つの階級にわけて、

理想国家の計画をたてた。

知恵をそなえた統治階級が正しく国家をおさめ、

戦死階級が勇気をもって国家を守り、

納付や職人などの生産階級が節制を保ちながら勤勉に働く。

このように三つの階級が、それぞれの役目を忠実に果たす時、

国家は全体として秩序ある正しい姿になり、

国家の正義が実現する。

 

プラトンは統治者にふさわしい人間は哲学を学び、

善のイデアを知る知恵を身につけねばならないと考えた。

善のイデアは、さまざまなイデアに善きものという価値を与え、

イデアイデアたらしめる究極のイデアであり、善の理想である。

 

善のイデアを知ることは、あらゆるものごとに善いという性質をあたえる、

普遍的な善の理想を求めることである。

哲学者は善のイデアに従って、たえず国家や人生の善きあり方を追求し、

そのような哲学者だけが、

善のイデアを基準にして国家をただしくおさめ、

国家の正義を実現できるのである(哲人政治)